わたしたちの会社のこと
わたしのこと

白泥大島紬最大生産量をつくる織元
祖父、川畑村中が終戦後、船乗りを経て島民の生活の力になりたいと1953年(昭和28年)に出身地の鹿児島県の最南端、与論島で大島紬のものづくりを始めました。
初代は泥大島、藍大島、白大島と様々な大島紬をつくり鹿児島市に会社を移転し本場大島紬織物協同組合の理事長も務めました。
二代目川畑成康(村中紫峰)は、伝統工芸士に認定され職人として仲間と共にものづくりの難しい白泥大島を専門的に作る織元に変革し、同組合の理事を務めました。
わたしは、2016年(平成28年)に伝統工芸士の認定と同時に三十歳で三代目となりました。
現在は、一貫製造でものづくりをしている産地唯一の白泥大島専門の織元をしながら同組合の専務理事をしております。

受賞歴

  • 内閣総理大臣賞
  • 経済産業大臣賞
  • 九州経済産業局長賞
  • 鹿児島県知事賞
  • 鹿児島市長賞
  • 一般財団法人伝統的工芸品産業振興協会賞
  • (社)全日本きもの振興会会長賞
  • 京都卸商業組合理事長賞
  • 東京織物卸商業組合理事長賞
会社名株式会社 村中
住所〒890-0071
鹿児島県鹿児島市三和町21-10
代表川畑 吉弘
TEL099-254-3301
FAX099-254-2455
設立1992年
資本金1000万
事業内容本場大島紬製造・卸・販売
取引銀行鹿児島信用金庫、鹿児島相互信用金庫

川畑吉弘
(伝統工芸士 村中 紫善)

S60.3.21生まれ

わたしは両親がこの仕事をしており、小さいころから姉や兄と欲しいものがあると、仕事の手伝いをして小遣いを貰っておりました。最初はあげ枠や絣筵洗い、覚えると摺込み染色、絣全解、次は白泥加工と覚えることが多くておもしろいと思い、高校卒業後に図案を習いに奄美大島の鹿児島県大島紬技術指導センターに一年間習いに行き、わたしにとっていい奄美生活になりました。現在は妻や姉も職人として家族で白泥大島のものづくりをしております。大島紬の生産反数は昔に比べて毎年減ってきております。
だからこそ生産性重視のものづくりではなく、本当に作りたい柄や色の使い方を拘り、自由にデザインが出来るようになりました。新柄を考え発表し続け大島紬を愛用してくれるお客様のニーズに応えられるよう常に新しい創造にも取り組んでいきます。
これからも伝統を革新しながら次に繋いでいけるよう鹿児島産地、奄美産地と協力し技術後継者を育て、わたしたち職人と一緒にものづくりをすることで次世代に継承出来るよう、前向きにチャレンジし続けて糸と遊びながらやりたいことをしていきたいと思います。

1953年初代川畑村中が鹿児島県大島郡与論島で創業
1960年与論工場開設
1963年鹿児島市真砂本町に事務所移転
1970年鹿児島県肝属郡錦江町田代工場開設
1977年鹿児島県大島郡徳之島町工場開設
1990年鹿児島県出水郡長島町獅子島工場開設
鹿児島県薩摩川内市甑島工場開設
1992年株式会社村中設立
二代目川畑成康就任
1993年川畑成康、伝統工芸士認定(伝統工芸士名 村中紫峰)
1994年鹿児島県南さつま市大浦町工場開設
1995年鹿児島市三和町に事務所移転
2003年宮崎県都城工場開設
2016年川畑吉弘三代目就任
川畑吉弘、伝統工芸士認定(伝統工芸士名 村中紫善)
2020年鹿児島市三和町織り工場開設